時の羅針盤・191

時の羅針盤・191

青写真を求める

高橋佳子


青写真とは

新しい年も最初のひと月が過ぎました。今月は、私たちがいつも大切に向き合ってゆきたい「青写真」について、考えてみたいと思います。

「青写真」とは、ものごとの計画、設計図を表す言葉です。

今から半世紀ほど前まで、建築や土木、機械設計などの分野では、ブループリントと呼ばれる図面の複写方法がよく使われていました。大型のコピー機やプリンターがなかった頃は、それが設計図を複写する唯一の方法でした。

半透明のトレーシングペーパーに描かれた設計図を複写用の感光紙に重ね、光を当て、その後の処置をすると、青地に白い線で描かれた青図が浮かび上がります(それを反転させた、白地に青い線が浮かび上がるものもありました)。

それを繰り返せば、1枚しかなかった設計図が何枚もできあがり、その青図を様々な人たちが共有することで、どんなに複雑なものでも、そこに描かれていた設計図を正確に建設し、製造して、実現することができたのです。

まだ現実の世界には現れていない建物や橋、様々な工業製品を具現するために、この青図、青写真は、なくてはならないものでした。

歴史を振り返れば、人々を感動させ、驚嘆させるようなものが、どれほどたくさん、その青図、青写真から生み出されてきたと言えるでしょうか。

そして、人々は、この世界に生み出されるものには、青図、青写真があることを感じ取っていたのではないでしょうか。

未来の計画、その設計図のことを青写真と呼ぶようになったのは、そうした歴史的な背景があるのです。

1日1日の青写真、1つ1つのカオスの青写真

「魂の学」(*1) においては、「青写真」という言葉には、さらにもう一段、深い意味が込められています。未来の青写真、人生の青写真と言うとき、私たちはそこに、神意にかなう唯一無二の計画、設計図という意味を込めています。

つまり、様々な青写真があるのではなく、青写真は、イデア (*2) のように1つある──。そのただ1つの青写真に向かってアクセスしてゆくことが、「魂の学」の青写真に対する姿勢なのです。

けれども、その青写真は、固定的なものではありません。例えば、人生の青写真は、人生の歩み方によって変わってゆく可能性もあります。

様々な出来事、人生の経験によって、状況が変われば、青写真は変わってゆく──。でも、そのとき、最善の計画、最善の設計図を青写真と呼ぶのです。

今年2020年にも、青写真があります。あなたの2020年の青写真とは、いかなるものでしょうか。

そして、今日一日にも、青写真があります。訪れる出会いや出来事にも、青写真があるでしょう。

私たちが日々、出会う様々な事態は皆、カオスとして訪れています。カオスとは、私たちがそれに触れるまで形もなく、結果も出ていない、可能性も制約も、光も闇も内包した混沌とした状態。そのカオスの1つ1つに青写真があるのです。

人生の青写真を求める

逆に言えば、この1つ1つのカオスの青写真を尋ね、1日1日の青写真を求め続けることによって、私たちは2020年の青写真に近づき、人生の青写真に近づくことができるということなのです。

大切なことは、私たちはあるかないかもわからない答えを探すのではないということです。私たちは必ず存在する答え、青写真を探し、それに近づこうとするのです。

どんな状況でも、あなたが求めるべき青写真があります。あなたが取り組んでいる仕事にも、抱えている問題の解決にも青写真があります。

その青写真に1歩でも近づくことを願って、今月は、『新・祈りのみち』の「青写真を求めるための祈り」(382〜387ページ)に親しんでいただきたいと思います。

2020.02.1


〈編集部註〉


*1 魂の学

「魂の学」とは、見える次元と見えない次元を1つにつないで人間の生き方を求めてゆく理論と実践の体系です。物質的な次元を扱う科学を代表とする「現象の学」に対して、物質的な次元と、それを超える、見えない「心」と「魂」の次元も合わせて包括的に扱おうとするのが「魂の学」です。それは、私自身の人間の探究と多くの方々の人生の歩みから見出された法則であり、「魂・心・現実」に対する全体的なまなざしによって、人間を見つめ、あらゆるものごとに応えてゆくことを願うものです。 (ご著書『最高の人生のつくり方』50ページより引用)

*2 イデア

「イデア」とは、古代ギリシア時代の哲人プラトン(紀元前427〜347)の言葉です。プラトンは、私たち人間が通常の肉体の目を通じて見ているものごとの姿は本当の姿ではないと言いました。ものごとの本来の姿、あるべき姿──「青写真」を、プラトンは「イデア」と呼んだのです。肉体の目でいくら見ようとしても、その「イデア」を捉えることは困難です。心の眼、魂の眼で見なければ、決して見ることはできないものです。 (月刊『G.』2017年8月号「『魂の学』序説104」15〜16ページより一部抜粋・要約)