時の羅針盤・183

時の羅針盤・183

水路を拓く

高橋佳子


自然の荒蕪を潤す水路

自然の荒蕪・荒野を耕し、田畑をつくることは、歴史を通じて人間が繰り返し挑戦してきたことと言えるでしょう。とりわけ、灌漑用の水路を開いて水田を開拓することは、いつの時代にあっても多くの人々の将来を左右するような大事業でした。

例えば、江戸時代──。干ばつや長雨など、天候不順が続く年は、収穫が著しく落ち込み、年貢米が減少することになり、貧しい藩では、たちまち財政難という試練が突きつけられました。そして、決まって、その問題のしわ寄せは、立場のない農民たちに行ってしまう──。村々から多くの餓死者が生まれ、年貢を納められない離散者が後を絶たないという悲劇が起こっていたのです。

そうした状況を大きく解決する手立ての1つが、水田開発でした。遠く離れた川や池などの水源地から水路を引き、何万町歩という水田を造成する。荒々しい大自然と闘い、灌漑工事を成功させることによって、広大な水田をつくることができれば、米の収穫量は飛躍的に増加し、藩の財政を潤すばかりか、農民たちにも安定した暮らしを約束できる……。水田開発の核心は、水路を拓くこと──。それは、眠っていた大地の力を引き出し、それを自然の恵みという形に結晶化させる歩みなのです。

無秩序な心の荒蕪

私たちの心も、大自然の荒蕪・荒野と似ています。生まれ育ったままの心は、岩や石ころが転がる荒れ放題の大地のようです。そのままの状態では、種を蒔くことも、作物を育てることもできません。願いや目標を実現しようとしても、何かを創造しようとしても、多くの困難を抱えざるを得ない状態です。そのままでは、そこにどんな可能性が秘められていても、それを引き出すことはかなわないのです。

地中に埋もれた岩や石ころを1つ1つ取り除き、地表に生えた雑草や雑木を刈り取り引き抜いて、ようやく耕地としての条件が整います。

心の開墾もまた、そうしたプロセスを必要としています。

生まれっ放し育ちっ放しの人間は、自らの心のことについて、何も知りません。そもそも、心があるのかも、あったとしてもどうなっているのかもわかりません。心について、多少考えたことのある人でも、そのはたらきを知る人など、ごく少数でしょう。

多くの人々は、日々、活動している心に、それと気づくことなく身を任せているに過ぎないのです。 つらい刺激や嫌な出来事がやってくると、心は小さくなり、不安や悩みに苛まれ、エネルギーが低下します。逆に、心地よい刺激やうれしい出来事がやってくると、心は舞い上がり、エネルギーは増大します。やってくる刺激によって、めまぐるしく変わり、無軌道に渦巻くエネルギーに振り回されているのが、私たち人間ということではないでしょうか。

心の水路──構造と流れをつくり、目的地を生み出す

「魂の学」(*1)は、その無秩序な心の荒蕪に、1つの秩序を与えるものです。その秩序=構造によって、心の流れ、心の水路が生まれ、そしてその道によってエネルギーを注ぐべき目的地が生まれます。

捉えがたい心のはたらきを受発色(*2)=受信(感じ・受けとめ)・発信(考え・行為する)・現実で摑み、その受発色の傾向を快・暴流、苦・暴流、苦・衰退、快・衰退という4つのタイプ(*3)で捉えることによって、それを解放する道すじさえも明らかになります。

人間の本質は、魂願(*4)とカルマ(*5)を抱く魂の存在──。その魂が肉体と出会い、地上世界の条件である3つの「ち」(*6)を引き受けることによって、「宿命の洞窟」(*7)から出発し、そこを脱出して「運命の逆転」を歩み、そして「使命の地平」に至る──。このような人生の歩みを見通す力を私たちに与えるものです。

その結果、無軌道だったエネルギーの流れに秩序が生まれ、目的地に向かう水路が生まれるのです。外からやってくるランダムな刺激に無軌道に反応するのではなく、赴くべき場所に向かって、それを条件として進む道を手にすることができる──。それは、私たちの心が潜在的に抱いている力を引き出すことになるのです。 八ヶ岳のセミナーの季節である今月、「魂の学」を学び生きる意義を改めて見つめてみてはいかがでしょうか。

2019.5.27

 

〈編集部註〉

*1 魂の学

「魂の学」とは、見える次元と見えない次元を1つにつないで人間の生き方を求めてゆく理論と実践の体系です。物質的な次元を扱う科学を代表とする「現象の学」に対して、物質的な次元と、それを超える、見えない「心」と「魂」の次元も合わせて包括的に扱おうとするのが「魂の学」です。それは、私自身の人間の探究と多くの方々の人生の歩みから見出された法則であり、「魂・心・現実」に対する全体的なまなざしによって、人間を見つめ、あらゆるものごとに応えてゆくことを願うものです。
(著書『最高の人生のつくり方』50ページより引用)

 

 

*2 受発色

「受」とは、私たちが現実(外界)に生じた出来事を心(内界)に受けとめる受信のことで、「発」は、受信を受けて外界に関わってゆく発信のこと。「色」は仏教の言葉で、目に見える現実──人のことも含めて事件や出来事、外界のことを言います。人間は、生きている限り、この「受発色」のトライアングル(三角形)を回し続け、たとえ無自覚であったとしても現実を生み出し続けているのです。
(『神理の言葉2012』66〜67ページより一部抜粋・要約)

 

 

*3 4つのタイプ=煩悩地図

「煩悩」とは、もともと仏教の言葉で、人々の心身を煩わし、悩ませる一切の妄念のことを指します。「煩悩地図」では、人生を暗転させる「4つの煩悩」の傾向として捉えます。「4つの煩悩」とは、人間の「怒り」や「不満」に象徴される「苦・暴流(被害者)」の傾向、人間の中にある「怠惰」や人に対する盲目的な「依存心」に象徴される「快・衰退(幸福者)」の傾向、「恐怖」や「否定的想念」に象徴される「苦・衰退(卑下者)」の傾向、そして「欲望」や人に対する「支配」に象徴される「快・暴流(自信家)」の傾向のことです。
(著書『運命の方程式を解く本』105〜107ページより一部抜粋・要約)

 

 

*4 魂願

その魂がどうしても果たしたいと願っている魂の願いであり、光のエネルギー。それは、「智慧持つ意志のエネルギー」である魂が秘めている意志であり、魂の本体と言ってよいもの。
(著書『運命の方程式を解く本』144ページより引用)

 

 

*5 カルマ

その魂の歪み、未熟、弱点であり、魂願を生きることを阻む力。
(著書『運命の方程式を解く本』65ページより引用)

 

 

*6 3つの「ち」

私たちが身を置く場所──それが地域であれ、職場であれ、業界であれ、そこには暗黙の前提、常識、価値観、そして生き方があります。そこで生きていれば、知らず知らずにその場の空気に深く染まってゆきます。それを私は、人間がその人生で必ず引き受けることになる3つの「ち」(血・地・知)と呼んできました。「血」は、両親や家族から流れ込む価値観や生き方。「地」は、地域や業界から流れ込む慣習や前提。そして、「知」は、時代・社会から流れ込む常識や知識、価値観。
(著書『最高の人生のつくり方』76ページより引用)

 

 

*7 宿命の洞窟、運命の逆転、使命の地平(人天経綸図)

人天の経綸とは、人と天によって織りなされる約束を指します。そして、大いなる存在・神のまなざしから見た人間の人生の真実の姿を示したものが「人天経綸図」です。そこには、過去世・現世・来世という永遠の時を生きる魂が、この世で進化・成長を果たしてゆく道のりが3つの段階──「宿命の洞窟」「運命の逆転」「使命の地平」によって示されています。すなわち、この世に生まれると、誰もが魂の未熟であるカルマと3つの「ち」(血・地・知)によって「宿命の洞窟」にのまれてしまう。しかし、日々訪れるカオスから光を引き出し、光転の現実を生み出し続けることによって、「宿命の洞窟」から脱し、「運命の逆転」を果たすことができる。そして、その歩みの中で、「自己の確立」と「世界の調和」がもたらされ、誰もが魂の願いを成就する「使命の地平」へと向かうことができるのです。
2017感謝の集い「人天経綸図 神のまなざしが捉える人生」〈ご講演BD・DVD・CD〉2018善友の集い「人天経綸図 悟りの9段階を歩む」〈ご講演BD・DVD・CD〉より一部抜粋・要約)